「(ズズッ)・・・・・花粉症??」 てなくらいに鼻水の量がスゴイのです。 「アレルギー?そんなもん知らないッ!!!」 「まさに健康体そのもの(・∀・)!!!!」 がウリの自分にとっては由々しき事態。 単なる風邪であることを祈るのみなわけで・・・・・。 そんな自分に呼応してか、天気も少し雨模様。 昔々、母親に 「雨はどうして降るの?」 とたずねたところ、 「雨はねぇ、、、、神様のおしっこなの。だから飲んだらダメ。」 と言われ、素直に信じた当時の自分。 「じゃあ雪は??」 と聞くと、間髪おかずに 「うんこ。」 と答えた母の力量にもアッパレです。 (もちろんそれ以降食べたりすることはなくなりました。笑) そんなこんなで今日。 またしてもバイトデイ。 雨が降りそうなため、カメラは持たず、代わりにPSP本体を持ってお出かけ。 ソフトはご存知、モンスターハンターポータブル2ndG。 絵の展示する配置を「キミのセンスに任せる」と言われ、苦心しつつバイトを終え、帰り道中ずっと下位クエスト埋めのために、フルフルベビーを納品し続けたのも良い思い出。 いよいよ明日は1週間ぶり(かなーりあばうとで。)に彼女とデート。 持ち物は、 ・財布 ・カメラ ・PSP さえあればオーケー。 前回会ったときは、なんと1ヵ月記念日・・・・・に、MHP2Gの発売日がかぶってしまい、我が家にて”合宿”と称したお泊り会を開催して、朝6時半まで半分眠りながら狩りを楽しんでました。笑 明日の天気は「雨」らしいけど、会えるだけで気持ちとテンションは快晴でござい。 (願わくば予報が外れることを願って・・・・・・。) ふぉんだ #
by fondafonda
| 2008-04-04 02:05
| 日常
今日は久々のバイト。 昼からのシフトだったので、いつもより少しだけ早めに目覚ましをセットしたはずなのに、気づいたらギリギリの時間帯。 一応、自分の頭の中では、 早めに起きる ↓ ちょっと優雅な朝食 ↓ 犬の散歩 ↓ ドコモショップへ行き、充電器を購入 ↓ バイトへ という計画を立てていたのですが、それが脆くも崩れ去ってしまった遅く起きた朝。 ただ、カーテンを開けた瞬間、 「おお。春。」 と思わずもらしてしまう程の快晴っぷり。 こんな日はカメラを持って「春」を探しに行こうと1人で決意し、犬の散歩もほどほどに、早めにドコモショップへ出発。 いつもの道とはちょっと違う裏路地を通ってみたり、雪解けで足場が悪い公園を通ったり、ファインダー越しに地元の風景を見ながら歩いてみたり(←危ない)したものの、自分の思うような「春」が見つけられない。 まぁ気楽にいこうやーと独り言を言いながら、顔を上げてみたら、そこには青空。 ついついパチリ。 ファインダー越しに正面を見ると、そこにはバカジャネーノ?みたいな顔した猫がこっちをジーッと見てたので、負けじとパチリ。 ま。俺の春はこんな感じで、いつもと変わらないものなんだと気づかされた1日でした。 かしらかしら幸せかしらー? ふぉんだ #
by fondafonda
| 2008-04-02 20:48
| 日常
「 カメラを向けられると魂をとられる 」 なんていう話を信じるどっかの民族がいたそうな。 無論そんなことはありえないし(魂を生命活動をするためのものと仮定した場合。)、そんな話自体が本当かどうかも定かじゃないです。 ただ、カメラというものの本質はその「瞬間」を切り取るものであるが故、そこにある”動”も”生”も写真によって、全て『静』にしてしまう。 その『静』の写真を、いかにして「動」や「生」を感じ取れるかが上手い写真とそうでない写真の分かれ目のような気もします。 (自分はそんな写真を撮ってみたいけど、どうにも撮れないジレンマを抱え中。。。笑) 生きることが”動”だとするなら、魂がなくなることは”静”ということになるし、そうなるとどっかの民族の発言は往々にして当たっていると言っても過言ではなくなるような気がしないでもないです。 18年間一緒に過ごした妹が旭川の看護学校へ進学するため引っ越して行きました。 その約1週間前、20年間過ごしてきた父が九州へ単身赴任が決まり、旅立っていきました。 これで家には自分と母の2人。 今までは4人全員に部屋が行き渡らないため、リビングを仕切って部屋にして無理やりできた部屋(みたいな場所)を「父の部屋」とし、ただでさえ広くない我が家が、さらに狭い家となっていました。 しかも妹も母も自分も、潔癖症とは程遠い性格の持ち主だったため、豚小屋とまではいかないまでも、とても他人様を呼べるような家ではなかったのです。 そんな我が家が僅か1週間やそこらで、作られた部屋(のような場所)が父の単身赴任によってなくなり、妹の進学のために一部屋空室ができ、一気に広々とした開放感のある部屋に様変わり。 「これでノビノビ暮らせるわぁ・・・・」 と思ったものの、案の定、凄く違和感が。 部屋(みたいな場所)でゴロゴロしてる親父の姿はないし、四六時中ギャーギャーうるさい妹の姿もない。 どこか喪失感に似たそれは、寂しさを少しだけ加速させたりさせなかったり。 妹が旭川へ引越した2日後。 以前から容態の悪かった祖父が「危篤だ。」との報告を妹の引越しの手伝いに行っていた母から受けました。 先日、入院していた祖父のお見舞いに行ったときにも医者から「危篤だ」と言われており、ICUに入っていたのですが、人工透析やよくわからない治療によってゆっくりと回復し、一般病棟にまで移る程に。 今回もそのような感じだろうと思いきや、どうやら様子が違うようで、急いで旭川に来て欲しいということ。 祖父は、孫や子の中で、自分のことを一番かわいがってくれていました。 そのことは親もおじさんおばさんも周知の事実で、「お前にだけは甘い。」といわれ続けてきました。 そのこともあってか、自分は大の爺ちゃん子。 母が自分を迎えに旭川から一時帰宅し、次の日の早朝に旭川へ向かうということで早めに就寝。 次の日に備える自分。 少しの胸騒ぎ。 起きてすぐに旭川へ出発。 祖父の病院にいる妹からの「爺ちゃんまだもってるよ(>_<)」というメールに、母運転の車は、何かに急かされているように高速を走り、一路旭川へ。 病院に到着し、すぐに祖父の入院しているICUへ。 以前見舞いに来た部屋とは異なる部屋で、ICU内の一番奥にある、昼なのに薄暗い小さな部屋。 部屋へ入ると、親戚や家族たち。 白いベッド。 白いシーツ。 白い祖父。 前に見舞いに来た時は人工透析の器具など様々なコードに絡まれて、視覚的にも苦しそうな様相の祖父が、今回は栄養を与えるための点滴と、心拍数や血圧を計測するための器具と、その他数本のコード、そして呼吸補助のためのマスクのみ。 「爺ちゃん。来たよ。」 と声をかけてみたものの、返事はなく、返ってくるのは痰が絡まりくるしそうな呼吸音のみ。 前に見舞いに来たときは、苦しそうながら、「・・・汽車か?」という問いをかけれる体力はあったので、やはり状態は良くなさそう。 そんな祖父を正面から見るのが心苦しくて、伏せていた自分。 カバンからカメラを取り出し、カメラを構え、ファインダー越しに白いベッドの上の祖父を見てみたけれど、どうしてもシャッターが切れません。 少し経った後、叔父が妹や子供たちを家に送るために外出し、祖母が「昼ごはん食べに行こう。」や親戚のおばさんたちを誘い、病室には母とおばさん(母の妹)の2人のみ。 祖母と親戚とで、地下にある食堂でご飯を食べていたところ、携帯電話に着信が。 「叔母:爺ちゃんあぶないから早く戻ってきな!!!」 急いでそのことを食事中の祖母達に伝え、病室へと向かう。 足が悪いのに走る祖母。 杖をつきながらも急ぐ親戚のおばさん。 そして自分。 ICUの一番奥にある薄暗い部屋へと足を踏み入れた時、そこにあったのは母と叔母と看護婦さんとモニターの音、 心拍数が0の祖父。 「あ・・・・」 呆然とする自分と、祖母たち。 看護婦の「残念ですが・・・」という言葉と、母の「・・・・まだ暖かいよ。」という言葉が連続し、ベッドの上の祖父に駆け寄る祖母と親戚たち。 ベッド脇に立ち、祖父であった体に触ってみる自分。 ・・・温かい。 心拍数が0なのに、以前と変わらない温かさ。 「じいちゃん?」 と呼んでみても返事はない。 さっきと同じ。 心臓の動きが静になっただけ。 でもそれが終わり。 涙はでませんでした。 もう一度カメラを取り出して、ファインダーでのぞいてみたけれど、シャッターは切れない自分。 子供達を送っていた叔父が病室を開け放ち、ベッドに駆け寄り、「オヤジ・・・・」という一言と地面に落ちる涙の線。 顔を伏せる自分。 少し落ち着いた頃、叔母が帰宅し、準備をするということで手伝うことに。 その帰りの車の中で叔母が、 「じいの死に目を見たのはあんたの母だけなのよ。アタシが連絡している間にじいは行っちゃった。プライドの高い頑固ジジイだったから、自分のみっともない姿は見せたくなかったのね。きっと。」 と言っていました。 帰宅後、坦々と準備は進み、お通夜、葬式、火葬を終え、母同行で一足先に帰宅することに。 札幌への帰りの車の中、母と祖父の話をずっとしていました。 祖父は7人兄弟の長男として生まれ、土木関係の会社を興し、数人の従業員に「オヤジ」と呼ばれるような社長だったそう。 順風満帆に業績を増やしていたものの、不況の煽りを受け、会社は倒産間近にまで落ち込み、従業員を解雇せざるをえない状況に。 仕事がないため、お金がない。 家を売り払い、それでもお金が足りないため、祖母は指輪や宝石を売り払い、それでも足りないため、ウチの母や、おじさんたちに頭を下げ、お金を借りにきたこともあるそうです。 そうして泣く泣く従業員たちへ退職金を払って解雇し、祖父1人だけの会社、そして会社の代表として、重機に乗り続けていた祖父。 賃貸で安い家に住み、あまり贅沢をせず、定年の年齢である60を超えて働き続けた祖父。 自分達が遊びに行くといつも、「焼肉食いにいくぞ。」と言って焼肉に連れて行ってくれたり、家で大量のジンギスカンを振舞って、帰るときには「ホラ。」とぶっきらぼうながらも笑顔でお小遣いまでくれていた祖父。 たくさんあった借金はいつの間にか完済し、今の家へと引っ越しました。 また、家の代金、引越し費用はすべてキャッシュで払ったそうです。 入院代や生活費、果ては葬式代までも、全部自分の貯金で賄えるほど、働き、稼いでいた祖父。 そんな祖父のこれまでの人生の話を聞き、今まで自分の持っていた「爺ちゃん」という像が、ほんの一面しか見ていなかったこと。 頑固で威張ってばかりだけど、自分にだけは優しかった爺ちゃんが、裏では大変な苦労をしていたこと。 最期まで、「プライドが高く、立派であった」こと。 助手席に座っていた自分は、高速道路の岩見沢から先の明かりがどうも眩しくて、ずっと横を向いていました。 札幌に帰り、ふとPCの画像を眺めていると、曾祖母の葬式時にコンパクトデジカメで撮った写真フォルダ内に、在りし日の祖父と祖母の姿。 写真嫌いだった祖父に無理やりカメラを撮って向けた一枚。 ぶっきらぼうにカメラを見る祖父と、よくわかっていない祖母。 祖母と祖父の2ショット。 初めて買ったデジカメで、初めて行った旭川で、初めて撮った祖父と祖母。 「 カメラを向けられると魂がとられる 」 とはよく言ったもので、PC内のその画像には、その瞬間の魂が存在していました。 おわり。 (拙い上、長々とした文章をここまで読んでくださった方、ありがとうございます) ふぉんだ #
by fondafonda
| 2008-04-02 03:09
| 日常
なぜか札幌中心部のビルの上に生えている観覧車。 観覧車自体に電飾が施され、視覚的な美しさと、なんとも言えない妖しさがかもし出されている異様な風景。 この観覧車。 出来てまだ日が浅いのに、 「あの観覧車に乗ったカップルは別れる」 だとか、 「黄色い観覧車に乗れば幸せになれる」 だとか、 色々と根も葉もない噂を聞くくらい、不思議な建物。 以前、何回か乗ったことはあれど、”彼女”と呼べる人と乗るのは初めてで そんな根も葉もない噂を少し気にしつつ、乗車。 一方。ちょっと変わり者の彼女は、そんなこと微塵も気にしていないようで、 360度に広がる綺麗な夜景よりも、観覧車の照明や、流れる音楽、観覧車の骨組みなどに興味深々。 僕はそんな彼女を見て、乗る前の不安がいつの間にか解消されていたようで、 買ったばかりのお揃いのカメラを持って、ワイワイはしゃぐ彼女がとても愛らしく、微笑ましく、 やっぱり俺はこの子が好きなんだなぁ。。。 と再確認した1日なのでした。 ふぉんだ #
by fondafonda
| 2008-03-10 01:54
| 日常
はじめまして。 とある街で大学生をしています。 今年の1月頃。 衝動と勢いで、テスト期間真っ只中にカメラを購入。(@ネット通販) PENTAX社製の”K100DSuper”というデジタル一眼レフカメラ。 自分の人生で、初めてのデジタル一眼です。 カメラについて無知も良いところだった自分は、基本的な操作と、撮り方に四苦八苦。 「デジタル一眼を買えば良い写真が撮れる!!」 という甘い考えは、この時点ですでに崩壊。 実は2ヶ月経った今でも、よくわかっていません。 ただ、写真の”楽しさ”には目覚めつつあります。 ”実力””写真のうまさ””バランス”等、技術的な観点はこの際おいておいて、 自分が今撮れる写真達を公開できる場があれば・・・と思ってブログを作成してみました。 瞬間を切り取れるカメラ。 瞬間を保存できるパソコン。 瞬間を生きる自分。 とりあえず、ゆったりまったり、自分の生活を綴っていこうと思ったり思わなかったり、、、、 #
by fondafonda
| 2008-03-10 01:13
| 自分。
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